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イサムノグチ作品群

 じどうセンターの周辺には、世界的に有名な日系2世米国人の芸術家、イサム・ノグチ(1904-88)の作品群(エントランス通路、丸山、オクテトラ)があります。

案内図

エントランス通路

イサム・ノグチ設計の通路

アーチ型エントランスをくぐり階段を上がると…

 イサム・ノグチが設計した児童館エリアの通路で、奥の階段は児童センターへのエントランスになっています。左側の緑色のドアは、当時のトイレの入口でしたが、今は倉庫に利用されています。奥のコンクリート製のアーチ型エントランスが重厚感を漂わせています。これをくぐって階段を駆け上がると、非日常のプレイグラウンドの世界に導かれるように構想されていました。

まるやま


まるやまに上る階段が刻まれている


穴の中の通路が独特のカーブを描いている

 児童センターの前の芝生にあるコンクリート製の亀の甲のような小山。子どもがかけ上がったり、滑りおりたり、中でつながっている穴に入ったりして遊んでいます。建設当時、イサム・ノグチは何度もここを訪れ、ブルドーザーで盛り土する作業員に「もう2センチ低く」など、細かく指示していた、と記録に残されています。

オクテトラ

 じどうセンターの向かい、小温室の奥の広場にある赤い八面体のコンクリート製の遊具です。ぽつんと一つ置かれているのと、ピラミッドのように三つ積み上げたものがあり、子どもは穴をくぐったり、のぼったりして遊んでいます。オクテトラはイサム・ノグチを代表する遊具彫刻のデザインとして有名で、各地の公園や広場に置かれています。しかし、イサム・ノグチ本人が手がけたオクテトラは、こどもの国のほか、香川、札幌など数ヵ所しかありません。

イサムノグチとこどもの国

 イサム・ノグチは、英文学者で文筆家、慶應義塾大学教授、野口米次郎(よねじろう)と米国人の作家レオニー・ギルモアとの間に生まれました。ロサンジェルスで生まれ、3歳から14歳まで日本で過した後、単身渡米し、彫刻家を目指しました。彫刻だけでなく、商業デザイン、舞台美術、絵画、公園設計など幅広い分野で芸術的才能を開花させました。ヴェネツィア・ビエンナーレの米国代表の芸術家に任命され、レーガン米大統領からアメリカ国民芸術勲章を授与されるなど、日米を中心に活躍した超一流のアーティストです。

 こどもの国が開園した3ヵ月後の1965年8月、イサム・ノグチは米国から招かれ来日、こどもの国設計集団に参加しました。著名な建築家、大谷幸夫氏とともに児童館エリア施設の設計を担い、4ヵ月間、連日こどもの国を訪れ、精力的に構想を実現しました。当時、イサム・ノグチは、彫刻と遊具、広場の造形を一体にした楽園のような遊び場「プレイグラウンド」を構想していました。その手始めが、こどもの国だったのです。

 その頃建設された児童館、スケート場は老朽化による建て替えで残っていません。ただし、エリア内にイサム・ノグチが造った造形が、今も原型をとどめています。当時、新聞のインタビューに対し、イサム・ノグチは「(こどもの国に)30年の設計の体験をすべて生かした。子供の遊び場には自然を残し、自然を生かさなければならない。遊んでいて心のたかぶりを覚えるようなものをつくりたい、という私の夢を実現した」と語っています。

日常の遊び場にアートを持ち込み、こどもたちに夢を与える遊具彫刻をめざしたイサム・ノグチのプレイグラウンド構想の片鱗が、これらの造形から今も見てとれます。